戸田家の兄妹 小津映画

この映画は戦中の1941年に、日中戦争から帰還した後、小津監督により制作された。

小津映画の中では、私自身とても好きな映画の一つである。

この映画のストーリーは、戦後制作された小津映画の代表作とも言われる、東京物語ときわめて類似している。(もちろんこちらが先なのだが)

親と子供たち(家族)の関係を社会背景をもとに描き、その時代のありようを描いているが、東京家族が戦後の核家族化を題材にしているのに比べ、こちらは戦中の上流階級の零落を背景としており、自分たちのステータスとメンツを守ろうと汲々とする没落家族と旧来の儒教的な家族像と倫理観が崩壊している当時の世相を厳しくとらえる内容となっている。

映画の検閲も始まり、厳しい制作環境の中で、戦中の壊れていく家族像を映し出すことは、決してたやすいことではなかったと考えられるが、社会批判などという表面的な主張を越えた、家族主義(儒教思想)的な内容は当時の多くの庶民に支持され大ヒットしたようだ。(同年のキネマ旬報第一位)

富豪の父が突然亡くなり、家族はその借財の返済に財宝や家屋を処分することとなり、家を失った母と末娘(高峰美枝子)は、兄妹(長兄、長女、次女の家族)の家で疎まれながら転々とした生活を余儀なくされる。

父の死後、次兄(佐分利伸)は天津への支店配属を希望し働いていたが、父の一周忌に合わせて帰国した時、母と妹の処遇を知り、家族の法事の直会で兄妹の非情を詰る。

この映画の見せ場は、次兄(佐分利伸)は兄妹の三夫婦を詰問し、直会の座敷から「帰ってよろしい」と退場させてゆき、最後に残された母と妹に「これでいいんです」と諭して三人で食事をするシーンだ。

古典的人情芝居を観るようなこの場面に、戦中の不条理な日常を過ごしていた多くの国民は一時、溜飲を下げだことだろう。

そして最後に、次兄は二人に自分とともに天津に移り暮らそうと説得する。

次兄は、日本社会の現状に将来を展望することができなくなり、広い世界にその希望を見出していた。母親と妹を天津に連れて行こうとするその姿は、当時の国民にどのように観られていただろう。

深読みすればそれは、滅亡へと邁進する国を捨てて、民として生きる道を選択するという監督のイシューであるともいえる。

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