宗像姉妹 1950年小津監督作品

この映画を以前から観たいと願っていたが、ストリーミングのコンテンツには見つけられず長い間お預け状態だったが別のサービスでようやく見ることができた。

1950年と言えば、後年にいわゆる『紀子三部作』と言われる小津作品の代表作の最初の一作『晩春』が撮られた翌年のことだ。
その翌年に『麦秋』(1951)、翌々年に『お茶漬けの味』(1952)、その後『東京物語』(1953)と続いている。

間に挟まれたこの作品と、『お茶漬けの味』を除けば、三部作は同じような家族劇であり出演する俳優陣も似通っている。

この作品も『お茶漬けの味』も、戦後復興期の家族を描いていることは三部作と変わらないが、この作品はやたら暗く、後者はなんだかソフトタッチな仕上がりになってる。

調べてみたら『お茶漬けの味』は、小津が復員した後の1939年にシナリオ化されたが、内務省の事前検閲でクレームが付き制作中止となったものの戦後版リメイクだという。

優れた映画監督だから、さまざまな視点から作品が作られるのは当たり前であるとはいえ、この作品だけは異様に暗く重い出来栄えなのである。

戦中に結婚した夫婦は、妻の父(笠智衆)の東京の家で妻の妹(高峰秀子)と三人で暮らしている。
父は京都の寺に間借りして暮らしていたが、癌で余命いくばくもないことを、父の友人の大学教授から姉(田中絹代)は告げられた。

夫(山村聡)は失業中で家にこもっており、代わりに妻はバーのマダムとして働きに出ているが、妻の献身にも無関心な夫の態度に妹はイライラを募らせていく。

そんな中、独身時代に心を寄せていた男(上原謙)がパリから帰国し、バーの運営資金の工面をしてもらうことになったが、そのことを知った夫が妻の不貞を疑いつらく当たるので、挙句バーを閉めることを決意する。

妹はそんな姉の姿を「古い」考えだと詰り、離婚して男と一緒になることを勧め、男も一緒になろうと約束をするが、そこへ酔った夫が突然と現れ「仕事がみつかった。祝杯をあげよう」と言ってその場から立ち去ってしまう。
夫は一人酒場に現れ、酒を浴びるように飲んだあと家にたどり着き、二階に上がったとたんに倒れ死んでしまう。

一度は夫を捨て男の元へいこうと決意した姉ではあったが、「夫の暗い影を置いてはいけない」と決意を翻してしまう。

ストーリーはざっとこんな感じで、全体的に暗く滅滅としている。
銃後の妻のような戦中の抑制的な女性である姉に比べ、妹は戦後女性のモデルのような解放的で快活な女性として描かれ、それゆえに分かり合えない。

妹はそんな姉夫婦に戦時体制下の不条理を感じ取り、時代は変わったのだということを知らしめようとするのだが、「ずっと古くならないことが新しいことだと思うの」と姉は180度ひっくり返った社会を当然のように受け入れることを拒否しつづける。

夫は亡霊のような姿となり、ようやっと明るい戦後社会の片隅になんとか生きていた。
一緒にいた仲間はすでに墓場で亡霊となっている。
画面の中でずっと生霊(ゾンビ)のように漂っていた夫は、他の人々のように過去を捨て去れない人(小津監督)の心象を表わしているのかもしれない。

エンターテーメント(普遍性)であるべき映画ではあるが、社会の大きな分裂のはざまで苦しむ人(固有性)の姿をその中に両立させようと格闘する、監督が描かずにはいられなかった作品ではないでしょうか。

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