映画館で映画を観ること

映画はもともと映画館で観るものであった。

それは長い間当たり前すぎる程当たり前のことだったのに、いつのまにか、テレビでの放映が開始され、録画ビデオが一般家庭に普及すると、レンタルビデオを借りて家で観ることが普通になった。

さらにパソコンが普及し、ブロードバンドの時代が到来すると、映画はいつでも好きな時間に、好きな映画を選んで観られるようになった。

およそ50年間の変化である。
それ以前は映画は映画館で観るしかなかったのだ。

その時代までは、映画館は全国各地の小さな町にもあり、私の住む田舎町にも、最盛期には三館が営業していたという。

10歳だった50年前にはその映画館で怪獣映画や子供向け映画を観た記憶がある。

大人になり、映画館で観慣れる前は、映画館はまさに映画の世界であり、子どもながら映画の世界に没入することは何ものにも代替えできない特別な体験であった。

今の子ども達も同じように映画館での特別な感感動を味わっているのだろうか。
それとも、オンデマンド、PCやスマホでいつでも映像に接している子ども達は、もはや映画館での体験は特別なものでは無くなったのだろうか。

映画産業の斜陽化と共に、全国の映画館は街から消えていき、今はせいぜい地方都市のショッピングモールにシネコンがようやく残っているような状況だ。

映画館で映画を観る人口が減ると、当たり前のように映画制作は厳しくなってくる。
億単位のお金がかかる映画は、制作に漕ぎ着けられる作品はほんの一部となっている。
あとは、低予算でできる映画作品にするか、公的補助金クラウドファンディングなどの方法で資金調達をするしかない。

日本にも、世界にも、観るべき素晴らしい映画が山ほどあり、情熱と創造性の高い人々によって今日も良い映画が作り続けられているのに、これを観ないというのは、人生の損失であり、文化生活の放棄であると思う。

ノーライフ、ノーシネマだ。