太陽を盗んだ男 沢田研二主演

1979年10月に公開された映画であるが、当時は観ていないし、こんな映画があったことさえ知らなかった。
近年、沢田研二の活動経過が気になり、ウィキペディアなどで調べていたら、こんな映画に出ていたことを知り気になっていた。

ストリーミングで作品があったので見て観た。

公開当時には数々賞賞を取ったこの映画も、原発からプルトニュウムを盗み、国家を脅すという内容の過激さからかカルト映画扱いとなり、長らくレンタルビデオでも視聴困難な時期があったようだ。

しかし、年々この映画の評価は高まり、1999年「映画人が選んだオールタイムベスト100」日本映画篇では13位、2009年「オールタイム・ベスト映画遺産200(日本映画編)」〈日本映画史上ベストテン〉では歴代第7位に選ばれている(wikipedia)

ストーリー的にはハチャメチャな部分もあるが、国会議事堂へのゲリラ撮影やバスで皇居前乗りつけなど、今ではとても許されないであろう撮影など、長谷川和彦監督はじめスタッフの熱量が映像に現れている。

この映画で一番惹かれるのは、1970年代後半の時代の空気感だ。
脚本はその部分を大切に映像化している。
城戸誠(沢田研二)がプルトニュウム爆弾を完成させた喜びで一人浮かれるシーンでは、ボブマーレイの"Get up stand up"で浮かれ躍るシーンがあり、公園での公開ラジオのシーンでは、カルメンマキの"私は風"が流れる。ともにこの時代の歌である。

沢田研二は30前の中学の理科教師役なのであるが、熱血教師とは程遠い白けきった先生で、生徒たちも授業をうっとおしそうに受けているしらけ世代だ。
10年前は70年安保世代で学園紛争の時代であったが、もはや社会には正義も社会変革も当時の熱気は消え失せている。

そんな時代に、団塊世代に乗り遅れた一人の教師が、原発施設からプルトニュウムを盗み出し、原爆(プルトニュウム爆弾)を作り出して国家権力と渡り合うというストーリーは、ある意味敗北に至った70年安保運動へのオマージュともいえるかもしれない。

そんな風に感じるのは私自身が当時の中学生であり、80年以前の時代の空気を青年期に感じていたせいかもしれない。
当時は学生運動や労働運動などの理念や理想が地に落ち、代わりに強大な国家による核武装の力が世界の形を形成していった時代であった。
そんな時代に、何の思想も社会変革の意思も持たない一人の人間が核武装し、九番目の核保有者(当時は核保有国が8ヶ国だった)を自称して国家権力と渡り合おうとする物語である。

原子力発電の燃料であるプルトニュウムは、簡単に原子爆弾に転用できるという事実と、そもそも原子力発電の持つ危険性というものを表現したこの映画を、財界いわゆる原子力村の人々は好ましくないと思うであろうし、やはり何らかの圧力があっただろうことは想像できる。

そして、こんな危険な映画になぜ天下のスター歌手、沢田研二が出演を承諾したのだろうという疑問も残る。当時ジュリーは"危険な二人"からヒット曲を連発して、レコード大賞など数多くの楽曲で受賞し最高に油に乗った時期でもあったからだ。

沢田研二は1948年生まれの、まさに団塊世代である。
出演したのは30歳の頃、等身大の姿が主人公に反映されている。
歌謡スター、ジュリーの姿からは想像できない、狂信的で孤独な男は単に俳優としての素養に還元できない魅力があると思う。
中学生の頃には"ケンカのサワケン"と京都洛東の学校に知られるほどの悪童の気性を持つ彼には、長い間沈殿していた闘争本能のような本性を開放する必要があったのかもしれない。