赤線玉ノ井 ぬけられます 神代辰巳監督作品

タイトルがすでにこの映画の尋常ならざる雰囲気を伝えている。
1974年の作品で、日活がロマンポルノ映画の製作に乗り出した71年以降の作品の一つである。

映画は、昭和33年の売春防止法施行を目前にした色町(玉ノ井)の姿を追いそこで繰り広げられる女達の人間模様を伝える内容となっている。


玉の井という町(私娼街)は今はない。売春防止法の施行で霧散してしまったのだ。
大正時代からここに店(銘酒屋)が集まり大きな私娼街となったそうで、永井荷風の小説『墨東奇譚』の舞台としても描かれている。

ちなみにタイトルにあるぬけられますというのは、玉ノ井の路地にあった有名な看板だったようで、小さな店がひしめく中に客を引くための、色町特有のダブルミーニングをそのままタイトルに起用したようだ。
1992年に公開された新藤兼人監督の同名映画にもその看板の姿が描かれている。

ロマンポルノ作品というと、映画としての評価を敬遠するむきもあるだろうが、日活は映画集客の減少による経営不振により映画製作が難しくなった7 0年代から、ポルノ映画のマーケットで集客を獲得しようと、低予算で製作できる利点を活かし若い監督の映画製作のきっかけにつなげていたようだ。
その結果、野心的で才能のある若手監督の登竜門のような場にもなり、現在も活躍する多くの監督がここからステップアップしていった。
この神代辰巳(くましろたつみ)監督もその一人で、キネマ旬報等の映画賞を数々受賞している。


映画は当時の場末の私娼街の雰囲気をうまく表しており、そこでうごめく女達は、関東近郊から集まった食い詰め者で田舎から出てきた雰囲気を色濃く残している。
正月の三ヶ日、かきいれどきの店先では門付けの万才がめでたい春駒を舞う声も聞こえる中、女達は商売に奮闘するのであった。

徳川の世に地方から町普請に集まった男たちの影響で、江戸の町は男女比率が極端となり、あぶれた男たちの性のはけ口として公娼制度(幕府公認)が設けられ、江戸吉原遊郭や京都島原遊郭など有名となったが、近代化の進む明治5年には芸娼妓解放令も発布されるも効果なく、33年には芸妓と置屋の居住制限が設けられ、徐々に郊外地に追いやられるようになった。
この玉の井もその流れで、浅草観音裏にあった私娼街が大正7,8年頃から東京市外であったこの地に移ってきて大いに繁栄したという歴史を持つ。

売春防止法が施行され風前の灯となる私娼街で懸命に生きる女達の姿を映画は、逞しくもあり健気な人間模様として描いている。

 

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好人好日 渋谷実監督 1960年作品

映画タイトルのせいか、ストリーミングにあってもなかなか見ることのなかった作品であったが、思い切って見て観たらこれがすこぶる良い映画だった。

渋谷実監督作品も初見であったため、あまり期待してはいなかったが、開始早々現れた東大寺大仏に話しかける初々しい岩下志麻(主役の娘)の姿に一気に期待値が上がっていく。

その後、カメラがパーンし奈良公園のシカが映し出され、そこに座り込み思索にふける笠智衆(娘の父)が登場する。小津映画ではおなじみの俳優であるが、こちらでは珍しく清貧のインテリ(数学者)役であり、眼鏡を掛けボロ背広に無精ひげのその姿は、中井貴一に瓜二つである。奇行奇人の人であるという役の設定を見事に演じている。

この映画では笠と岩下の父娘、そして妻役は淡島千景。ほとんど小津映画のメインキャストである。しかもストーリー設定も、ホームドラマとくればほとんど小津調。
それもそのはず、渋谷実は30年に松竹に助監督として入社し、戦前の小津映画では助監督も務めていたらしい。(小津監督はこの翌年、同じ父娘役で二人を起用している『秋刀魚の味』)

小津映画との大きな違いは、エンタメ性が高いというところだろう。
独白(娘のモノローグ)や夫婦の対話をうまく使い、テンポの良いやり取り、家族の関係を伝えるコミカルな会話。
恋人(津川祐介)の旧家(老舗の炭屋)家族で、二人を見合いさせようと奮闘する後家の姉(音羽信子)と、その祖母(北林谷栄)が二人の前途をややこしくする。

物語りは、若い二人の恋の行方から、父の文化勲章受章へと続き、夫婦は受賞式へ出席するため東京へ向かう。
新婚時代に暮らした下宿に泊まった夜に、勲章を泥棒に盗まれてしまうのだが、泥棒(三木のり平)との問答も滑稽で、奇人たる本領を発揮する。

奈良に帰ると、周囲は大変な大騒ぎで、家には大勢のマスコミが詰めかけ注文放題のポーズを要求する。

その騒動に辟易し、春日山に逃れ、避難先のカフェでは、カフェの息子とボクシングの勝負をする羽目になり開始早々ノックダウンとなる。

そうしている間にも受賞記念祝賀会が始まるが本人は我関せず。旧知のお寺に雲隠れしているところを娘に見つかる。
そこで、迷っていた娘の結婚を促し、娘の出生の過去についても打ち明け、娘は結婚の決意をする。

そうこうしているうちに泥棒が勲章を返しに家を訪れ、泥棒の善意に感激し、帰りの汽車賃を渡す。

勲章がもどり、ようやく家に平安が訪れた後、カメラは再び奈良公園東大寺をバックにシカと若い二人の姿で幕となる。

ドタバタ喜劇のような場面展開とストーリーではあるが、要所要所で夫婦と親子、人と人生の味わいについて深めるシーンが描かれている。



戦後の貧困状態から社会がようやく回復し、人々がTVの中継に未来の豊かさを夢見るようになり始めたこの頃は、同時に戦争とその時代を忘れ始めた頃でもある。

夫婦は、戦後の闇市で孤児となっていたいた娘をもらい受け育て始めた。
(その娘を連れ戻り、二人に養育を頼んだのが禅寺の和尚という設定)
生みの親の来歴を知りたいとずっと秘めていた娘に『闇市で孤児となっていた娘に、和尚がおにぎりを渡したら猫のようについてきた』と伝えられショックを受ける。
泣き崩れる娘の肩を抱き、『すべては偶然なのだ。私が文化勲章をもらったのと同じこと』と語る。
どんな過酷な状況の中でも、その日その時の目の前にある現実を受け止め淡々と暮らす。
奇人といわれ浮世では変人扱いされるこの男の生命観と倫理観が強く印象づけられる場面だ。

泥棒にはやさしい彼も、古い思想(天皇を頂点とした皇国史観)に引きずられた神道家には辟易し春日山に逃げる。
勲章を失くしたことを詫びない『非国民』であるとなじられたことに激昂しもみ合いとなるが、そこで後をつけてきた泥棒が勲章を渡し事なきをえる。

生活苦で泥棒となった男には慈悲を与えるが、多くの若い命を盗んでいった大泥棒に対しては決して屈しないという。監督の思いの色濃く反映した場面である。

メインキャストのすばらしさのみならず、脇を固める名優たちの個性とキャラクターも光るこの作品ですが、やはり笠智衆の名演、淡島千景の円熟、岩下志麻の初々しさが何よりも印象に残る映画でした。

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月は上りぬ 小津安二郎脚本

1955年に田中絹代の監督で公開されたこの作品は、戦後すぐの頃(終戦前とも)小津により作られたが、制作会社との折り合いがつかずずっと棚上げになっていたものを、田中絹代の監督作品として制作されたというものです。

やはり、小津脚本の作品ならでわの小津調のストーリー展開で、知らない人には小津映画といっても違和感のない作風に仕上がっている。

しかし、小津作品の精通者であれば、説明的なカット(家の表札のアップなど)などは気になるかもしれない。

全体的には、とても面白いメロドラマ的なストーリーで、東京から疎開し奈良で暮らす父と三姉妹の4人家族がドラマの舞台となっている。
末娘は、長女の元夫(死別)の弟と恋仲でであるが、失業中のその弟とはうまく進展していない。次女が密かに気になっている弟の友人との仲を取り持とうと二人を月夜の晩に誘い出すことに成功したが、自分達はひょんなことから喧嘩してしまい、仕事で東京に引っ越すという夜になんとか仲直りして、東京へ旅立つ。
家に残った父(笠智衆)と長女であるが、父は長女にも元夫の友人との再婚を薦めるのである。

『晩春』での父は、娘に結婚の決意をさせるために再婚すると嘘までついて決意させていたが、この作品でも父は娘たちの幸せを第一に考えるが、父の寂しさまでは表現されていない。

 とはいうものの、生涯6作品のうち2作目の監督作品という、田中絹代の力量も素晴らしいものだ。
自身も家の下働き役で出演しているが、末娘役の北原三枝とのやり取りはさすがの演技だ。

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戸田家の兄妹 小津映画

この映画は戦中の1941年に、日中戦争から帰還した後、小津監督により制作された。

小津映画の中では、私自身とても好きな映画の一つである。

この映画のストーリーは、戦後制作された小津映画の代表作とも言われる、東京物語ときわめて類似している。(もちろんこちらが先なのだが)

親と子供たち(家族)の関係を社会背景をもとに描き、その時代のありようを描いているが、東京家族が戦後の核家族化を題材にしているのに比べ、こちらは戦中の上流階級の零落を背景としており、自分たちのステータスとメンツを守ろうと汲々とする没落家族と旧来の儒教的な家族像と倫理観が崩壊している当時の世相を厳しくとらえる内容となっている。

映画の検閲も始まり、厳しい制作環境の中で、戦中の壊れていく家族像を映し出すことは、決してたやすいことではなかったと考えられるが、社会批判などという表面的な主張を越えた、家族主義(儒教思想)的な内容は当時の多くの庶民に支持され大ヒットしたようだ。(同年のキネマ旬報第一位)

富豪の父が突然亡くなり、家族はその借財の返済に財宝や家屋を処分することとなり、家を失った母と末娘(高峰美枝子)は、兄妹(長兄、長女、次女の家族)の家で疎まれながら転々とした生活を余儀なくされる。

父の死後、次兄(佐分利伸)は天津への支店配属を希望し働いていたが、父の一周忌に合わせて帰国した時、母と妹の処遇を知り、家族の法事の直会で兄妹の非情を詰る。

この映画の見せ場は、次兄(佐分利伸)は兄妹の三夫婦を詰問し、直会の座敷から「帰ってよろしい」と退場させてゆき、最後に残された母と妹に「これでいいんです」と諭して三人で食事をするシーンだ。

古典的人情芝居を観るようなこの場面に、戦中の不条理な日常を過ごしていた多くの国民は一時、溜飲を下げだことだろう。

そして最後に、次兄は二人に自分とともに天津に移り暮らそうと説得する。

次兄は、日本社会の現状に将来を展望することができなくなり、広い世界にその希望を見出していた。母親と妹を天津に連れて行こうとするその姿は、当時の国民にどのように観られていただろう。

深読みすればそれは、滅亡へと邁進する国を捨てて、民として生きる道を選択するという監督のイシューであるともいえる。

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岐阜ロイヤル劇場 35ミリ映画の世界

岐阜ロイヤル劇場は現在では珍しく、35ミリフィルム映画を上映する昭和名作シネマ専門館として運営されている。

運営は、岐阜土地興業公社の運営館でロイヤル劇場の他、近くで4っのスクリーンを持つミニシアター「シネックス岐阜」、関市内のシネコンシネックスマーゴを運営している。

ロイヤル劇場が現在の上映内容となったのは、映画館のシネコン化が進む頃からということで、入れ替えなし600円均一の入場料だ。

上映映画が「昭和名作シネマ」ということで、1950年代から1980年代の日本映画の旧作を扱っていることから、お客さんは高齢の男性客が多い。

私自身もこの映画館の存在は前から知っていたものの、上映されている映画がピンと来ず、長い間足を踏み入れる機会はなかったが、今年(2022)柳ケ瀬の夏祭りが久々に実施されることになり、この映画館で昭和歌謡のど自慢ショーが開催されることになり、これを機会に初めて入館した。

ビル外部の装飾は前から見ていたものの、映画館内部もたっぷり昭和レトロ風で、座席も今の映画館の深い背もたれとは違い、ちょっと窮屈なサイズのいかにも昭和な感じだ。

一番驚いたのは、座席数の多さもさることながら、スクリーンが広く、フィルム映像を大きく映して楽しめる感じが素敵でした。

それ以来、何度か映画を観にロイヤル劇場を訪れているが、客席にお客が満杯になるということはなく、大体いつも10数人から20人程度の客数である。
確かに現在、映画人口は減少傾向であり、コロナ禍の多大なる影響が去ったといっても、全国的に映画産業は厳しい状況だ。
それに比べれば、ここはある程度の固定客数を確保できていると考えることもできるが、それにしてもあの大きなスクリーンで観るにはなんともさみしさは否めない。

もう少し、顧客層が広がる作品(例えば名監督シリーズとか、名優作品シリーズとか)を上映すれば、広域圏からの客の入込みも期待できるのではないかと思う。

もしかしたら、上映できるフィルム映画に規制があり、思うような名作、旧作を自由にチョイスできないという運営サイドの問題があるのかもしれない。

デジタル映像作品の上映が当たり前の現在では、以前に撮られたフィルム作品のデジタルリマスター化も進み、多くの旧作がデジタル上映されている(もちろんストリーミングも含め)から、いずれはどの作品もデジタルフィルムでどこでも見ることができるようになるだろう。

それはそれでとても嬉しいことなのだけれど、35ミリフィルムに直接刻まれた、音と光の生々しさは、やはりフィルム映画が勝っているような気がする(フィルムに刻まれたノイズや瑕疵も含め)のだ。

世界からフィルム映写の機会が無くなるなんてなんとも寂しい気がするので、ロイヤル劇場さんにはなんとか頑張って今のスタイルを続けてほしい。

そのためには、もっと様々な名作や旧作を広く上映してもらい、全国からフィルム映画を観たいお客さんが詰めかける映画館となってほしいのだ。

秋刀魚の味 小津映画

小津安二郎監督が1963年の誕生日に60歳で亡くなったため遺作となってしまった映画だ。

公開は1962年(私の生まれた年だ)

これまでストリーミングで多くの小津作品を観てきたが、なるべく初期作品から鑑賞したいと思い、つい最近初めてこの作品を観た。

カラー作品であり、晩年の監督作品ということで、これまで監督が生み出してきた物語の様々な要素がちりばめられている。

しかし主要なテーマは、多くの若者が亡くなった先の戦争で、奇跡的に生還できた若者が、戦後社会の中で歳を重ね老いを迎える男の姿として描かれている。

小津作品に多く出演し、その中で年齢を重ねてきた俳優、笠智衆が主人公平山周平役であり、その姿はそのまま笠自身の人生とも重なり、監督自身とも重なる。(監督は生涯独身であったが)

妻を早くに亡くし、子供三人を男手一人で育ててきた家族の物語であり、年頃となった娘を何とか結婚させようする男親の姿が描かれている。
このようなテーマは小津作品には幾度となく描かれており、ともすると別の作品(例えば晩春)と混同してしまう。

これまでの作品との違いは、出演者の多さである。
子ども達(岩下志麻佐田啓二三上真一郎)の他に、兄嫁の岡田茉莉子、周平の学友(北竜二、中村信郎)、その妻三宅邦子、環美千代、周平の戦友に加東大介、兄の後輩に吉田輝夫、周平の恩師に東野英治郎、その娘に杉村春子、バーのマダムに岸田今日子という面々だ。

特に印象に残ったのは、中学の恩師(東野英治郎)の慰労会後、旧友(中村信郎)とともに恩師を家まで送った後、今は中華そば屋を娘(杉村春子)とともに細々と営むその家で、酔い潰れた父親の隣で声を殺し泣く娘のシーンだ。

さすが杉村春子、四十過ぎた行き遅れた女の悲しみを手の表情だけで表現している。

もう一つ好きなシーンは、周平が恩師のラーメン屋に再び訪れた際、戦友(加東大介)にばったりと出会い、彼に連れられて入ったバーでマダム(岸田今日子)と戦友(加東大介)と三人で、軍艦マーチに合わせて軍隊式敬礼を交わす場面だ。
戦場経験もある、加東大介の敬礼は実にリアリティがあり、せかされて交わす周平のまんざらでもなく楽しそうな顔、それを見てまねるマダムのとてもチャーミングな敬礼姿は、あの時代を経験したものだけが共有できる哀愁が現れている。

なんとか娘(岩下志麻)を見合結婚させ、式を終えた後酔った姿でバーを訪れた時に、マダムからお葬式の帰りかと問われ、そんなもんだと答える周平の姿は印象的だ。

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月は上りぬ 小津安二郎脚本

1955年に田中絹代の監督で公開されたこの作品は、戦後すぐの頃(終戦前とも)小津により作られたが、制作会社との折り合いがつかずずっと棚上げになっていたものを、田中絹代の監督作品として制作されたというものです。

やはり、小津脚本の作品ならでわの小津調のストーリー展開で、知らない人には小津映画といっても違和感のない作風に仕上がっている。

しかし、小津作品の精通者であれば、説明的なカット(家の表札のアップなど)などは気になるかもしれない。

全体的には、とても面白いメロドラマ的なストーリーで、東京から疎開し奈良で暮らす父と三姉妹の4人家族がドラマの舞台となっている。
末娘は、長女の元夫(死別)の弟と恋仲でであるが、失業中のその弟とはうまく進展していない。次女が密かに気になっている弟の友人との仲を取り持とうと二人を月夜の晩に誘い出すことに成功したが、自分達はひょんなことから喧嘩してしまい、仕事で東京に引っ越すという夜になんとか仲直りして、東京へ旅立つ。
家に残った父(笠智衆)と長女であるが、父は長女にも元夫の友人との再婚を薦めるのである。

『晩春』での父は、娘に結婚の決意をさせるために再婚すると嘘までついて決意させていたが、この作品でも父は娘たちの幸せを第一に考えるが、父の寂しさまでは表現されていない。

 とはいうものの、生涯6作品のうち2作目の監督作品という、田中絹代の力量も素晴らしいものだ。
自身も家の下働き役で出演しているが、末娘役の北原三枝とのやり取りはさすがの演技だ。

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