長屋紳士録

戦後、小津安二郎が戦地シンガポールからようやく戻れたのが昭和21年(1946)二月で、翌年44歳になった小津が二カ月で書き上げたのがこの映画の脚本であった。

舞台は戦後直後の東京で、九段で親と離れ迷子となっていたという子供を、築地の長屋に連れ帰ったところから始まる。

長屋と言っても周囲はまだ空襲で更地とされたような場所で、小さな長屋に人々が肩を寄せ合って暮らしているような状況だ。

迷子を連れ帰った男(笠智衆)はぶっきらぼうに子供を泊めてくれないかと同宿の相棒に頼むがけんもほろろに断られる、しかたなく長屋で一人暮らす"おかぁ"と呼ばれる後家に無理やり押し付ける。

おかぁも大変なもの押し付けられたと、仕方なしに一晩泊めるが、翌朝にはおねしょされてさらに怒りは収まらない。

なんとか親元に帰そうと、迷子を連れて茅ケ崎に出かけるが、親は見つからず、浜辺で置き去りにしようと画策するが、迷子はそうはさせまいと必死についてくる。

おかぁは諦めて手元で育てはじめるが、徐々に愛情が移ってきてなにかれ世話を焼くようになり、そのことを友人から指摘され、自分の気持ちに正直になってゆくが、そこへ実の父が現れて子を引き取るというストーリーとなる。

ある意味単純なストーリーと言えるが、終戦後の混乱の中で生きる大人達の姿をシニカルにそして滑稽に映しだし、さらには孤児となり上野周辺にあふれている戦災孤児の姿をとらえ、社会と大人たちの姿と二重写しにして見せる。
小津作品としては、まれにみる社会派なテーマとしても映るが、小津の視線はあくまでも親子(それが仮のものであっても)の情愛という普遍性に重きおいているように映る。

このブログで先回あつかったフランス映画『1640日の家族』のテーマと類似しているものの、一方は現代社会の児童保護制度の物語であり、この作品は、法も国も敗れ去っそた土地の中でたくましく生きる庶民の姿を背景として、同じ家族愛をテーマとしていてもこんなにも表現が異なるかと驚く。

小津作品の中には、国や制度に頼るすべを持たない庶民が作り上げてきた、アジア的共生の痕跡が色濃く反映されていて、非情でシビアに見える人々の生活の中にある救いが映し込まれていると言える。

だから、映し出される人々の姿は時にクスッと笑いが出るほど滑稽であり、愛らしくもある。小津映画はスクリーンの外にいる人々を親子の情のようなまなざしで観ているのかもしれない。